シリーズ「コロナと教育」(淺海真弓教授インタビュー4)

#インタビュー #コロナと教育 #淺海真弓

シリーズ「コロナと教育」は、本学の教員に、それぞれの専門領域の見地から、コロナのこと、教育のこと、人生のことなどを語ってもらうインタビュー企画。
第三弾は、淺海真弓教授です。

みんなが右手を挙げているときに左手を挙げた幼少期。牛のぬいぐるみを作る時間に犬を作った中学時代。大学受験に気が乗らず、二年間実家に引きこもって、河原で石を拾いつづけた浪人時代。決して、斜に構えたつもりはないけれど、気がつくと、いつも世界からちょっとずれた場所にいた。救いはそのときどきの先生が「あなたはそれでいい」と認めてくれたこと。二十歳で陶芸を始め、兵庫県陶芸美術館の学芸員を経て、兵庫教育大学へ。大学教員と作家活動の二足のわらじを履きながら、今はもっぱら、兵庫県の地場産業から出る廃材・端材を使って、ちょっとへんてこりんな造形活動に取り組んでいる。人呼んで、"兵庫のブリコルール(器用人)"。やっぱり、世界からちょっとずれた場所、ゆるくて"きもかわいい"、淺海真弓ワールドへ。いざ潜入!


|話し手|淺海真弓教授 
|聞き手|佐田野真代(広報室員)・永井一樹(広報室員)・東千尋(教材文化資料館)
|写 真|山下真人(附属図書館)

※このインタビューは2022年7月に収録したものです。          


第4回:牛なのに犬

N:さて、AIの時代ですね。

淺:急に話し変わりますね。

N:すいません。AIの話。個人的な感覚なんですけど、最近すごく生きやすくなってきたなと思ってまして。なんでだろうなと分析してみたんです。これからはAIが人間の仕事を代替していくから、だから人間は人間にしかできないことをしなきゃ駄目だ、みたいなことがよく言われるじゃないですか。僕、AIが担当するような仕事って、昔からすごく苦手で...。

淺:私も。

N:しめしめと。

淺:しめしめ。

N:逆にAIの肥やしにならない(ビックデータに吸収されない)、つまり人があんまり考えないこと、まあ下らないことばかりなんですけど、そういうことを考えるのが好きなので、ああ、なんて素敵な時代が来たんだと。

淺:そう。私もぎりぎり間に合ったなっていう感じがします。子どものときからAIが得意とするような、緻密に確実に短い時間で何かを成し遂げるとか、そういうのが私も超苦手で。でも、私の時代の学校の成績って、ほぼそこで評価されることが多かったんですよね。だから、あまりよくできない子だったんだけど、教育的なちょっといい話をすると、なぜか幼少のときから大人になるまでの折々に、「おまえはそれでいいんや」と言ってるくれる人に巡り合ってきたんですよ。例えば学校だったら先生とか先輩とか。アルバイト先の大人の人とか、就職したら周りの同僚とかに、「おまえはこれできへんかもしれんけど、おまえはそれでいいから」って言われて。ああ、いいんだと思ってここまで来ちゃった。


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「陶のブリコラーシュ」
 ※ロクロを使い粘土で様々な無作為な形を作りその後それらを組み合わせ構成し焼き上げた作品。


N:なぜそう言われるんですかね。

淺:知らない、そんなの。

N:「おまえはそれでいい」オーラを発していたんでしょうね。

淺:いや、そんなオーラはないと思うけど、今考えるとそれが非常に救いだったと思っています。「よくできない子」って一刀両断されても全然おかしくない子どもでしたから。なかには、一刀両断に評価する大人もいて、その時々で落ち込んだりもしたんですが、ことあるごとに「そのままでいいよ、おまえはそのままでいい」という人が学校の先生にもたくさんいてくださったし、そういうことで救われたなっていう風に思います。この間ね、大学で健康診断あったとき、あれって事前予約が必須なのに、全然意識してなくて、コンビニ行くみたいに好きな時間にふらっと行ったんです。そしたら、「名前がないですよ」って言われて。ぼんやりにもほどがありますよね。でも、優しい係の人が「いいです」って通してもらって。

N:子どもの頃からそんな感じですか。

淺:そうです。

N:「おまえはそれでいい」ということは、よっぽど。

淺:ひどかった。例えば図工の時間、家庭科の時間とかもそうなんです。大体、こんなものを作りましょうねというような完成図があって、それに向かってみんなで取り組むわけですけど、極端な言い方すると、洋服づくりの時間にみんなスカート作ってるのに、私だけズボンになっちゃったりとか。ズボン作りたかったし、みたいなノリで。たぶん、それって先生は怒ると思うんです。でも、そのときの家庭科の先生は「おまえはそれでいいから」と。

N:おまえはそれでいい...。

S:すごい。なんか呪文みたいに聞こえてきましたね。他にもエピソードあるんですか。

淺:たくさんあります。中学校の家庭科の時間に、ぬいぐるみを作るという授業でテーマの動物は決まってたんです。確かみんな牛を作ってたんだけど、なぜか私だけ犬になった。でも、先生はそれでいいと。あんたが好きなもん作ったらいいからって。だから、家庭科の成績はあまりよくなかった。

S:「あなたはそれでいい」だけど、いい成績はつけてくれなかったんですね。

淺:はい。先生はいろんな評価の観点で成績をつけないといけないでしょうから。私は別にふざけて牛を犬にしたわけじゃなくて、ある意味「型」からちょっとはみ出したことをやったということで、先生はその真剣さについては評価してくださった。だから、そのままでいいって。無理やり牛に作り直せとはおっしゃらなかったです。

N:でも、なんでそのとき犬を。

淺:作ってるうちに、犬を作った方が面白いと思ったんだと思います、たぶん。牛はちょっとイケてないなと思って。


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N
:ところで、佐田野さん、これ淺海先生が靴下の廃材で作った人形なんですけどね。先生が手がける「ひょうごもんプロジェクト」と附属図書館主催のBLUE CLASS(青空教室企画)とのコラボで、子ども達が廃材を使って造形活動を楽しむワークショップをしたんです。

S:附属小学校で開催したイベントですよね。

N:そう。そのときにね、子どもによっては「なんじゃこれ!」というものを作ってくるんですよ。

淺:不思議な作品がたくさん出てきましたね。


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N:そうなんです。すごくバラエティーに富んだのを作ってくるですけど、それに対する先生のまなざしがものすごくおおらかというか、優しいなと。それこそ「あんたはそれでいい」的なおおらかさを感じたんです。それが後光のように眩しくて。なんだかよくわからない作品であればあるほど、面白がって慈愛の眼を向けられていたような気がしたんですが、先生はどういう目線で子どもの作品と向き合われるんですか。

淺:いつも表現が大げさですね。わたし、子どもを対象にした造形ワークショップをよくやるんですが、あまり子どもの作品だと思って見ないですね。私にはないすごいアイデアだとか、ほかの子になくて、その子なりの発想みたいなのを見ると、純粋に感動しちゃうところがあります。それを言葉に出してるだけで、特に評価しようとか、感化しようとか、導き、育てようとかという意識はほとんどないです。子どもでも学生の作品でも、技術的なアドバイスとか、こうしたらもっとその人なりの作りたいものが作れるよ、みたいなことは言いますけど。あとやっぱり予定調和的にきれいに収めちゃおうという子がたくさんいますよね。さっき既視感というお話がありましたけど、「どこかで見たもの」に落ち着かせたら、ある意味安全パイじゃないですか。でも、そうじゃなくて、「ちょっとこんなもの作ったら変って言われるかもしれない」っていうようなものが出てきたときに、「どうぞどうぞ、やってください」と後押しするのが我々の仕事かなと思っています。


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