2026年4月3日(金) 院生リレーコラム

#027. 侵入者たち (2025年入学・李 英三)

去年の夏のことだ。早朝に自宅の2階のベランダで洗濯物を干していたら、下の駐車場に人影が見えた。(! 誰か侵入している)誰だろう。こんな朝早く郵便配達でもないし、我が家が新聞をとらなくなって久しいし……。

私は物音をたてずに、その「侵入者」の姿を確認することにした。20代ぐらいの男性が車の横でスマートフォンを向けている。その先には「桃の木」がある。そう、彼は我が家の桃の木になっている桃の実を撮影していたのだ。上から私が覗いていることも知らずにカシャカシャと何枚か撮ると、彼は少し微笑んで満足そうに去って行った。

我が家は神戸市長田区にある。神戸キャンパスからも近い。周囲は住宅街で町工場や店舗も並ぶ、とても長田らしい下町にある。こんなところに桃がなっていたのがよほど珍しかったのだろう。

この侵入者の来訪を受けて、ある光景を思い出した。それは「モッコウバラ」のことである。この鉢植えは私が近所のホームセンターで見切り品として売っていたものを家で植え替えたもので、もう枯れる寸前の、子どもの手のひらほどのものだった。それがいつのまにか大人が両方の手の平を広げたぐらいにまで成長していた。私はこの鉢植えを道路沿いに置いていた。しかし、何色のどういう花が咲くのかはわからなかった。それがある朝、白い花をいっせいに咲かせたので、私もその生命力に感心していた。そんなある朝、私が玄関から駐車場に向かうと、見知らぬ若い女性がそのモッコウバラに駆け寄り、鉢を抱きしめるようにして、いとおしそうに愛でているのを目撃した。私はその場から足を動かせなかった。(そうか、私が好き勝手に植えた花や木をこんなに見知らぬ人たちが喜んでくれているのか)

そう思うと、私自身も電車通勤をしていた時、学校までの道のりで見ず知らずの人の家の塀越しに見える木蓮に卒業式を、桜に入学式、百日紅(サルスベリ)の赤い花に夏休みを感じていた。何もなかった枝に蕾が膨らみ花の咲く姿に慰められ励まされたものだった。

自分だけの物として当然のように考えていた庭先の鉢植えや木は、ここを通る人たちの「共有」の鑑賞物であるのだと、少し無秩序すぎる自宅の庭に反省しながら、今度はどういう「侵入者」が来るのかを私は密かに心待ちにしている。


我が家の桃の花