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沿革

沿革

  


昭和46年6月 中央教育審議会が教育に関する高度の研究と現職教員の研修を目的とする修士課程程度の大学院の設置を内容とした「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」を答申
昭和47年7月 教育職員養成審議会が現職教員のための新構想の大学院の創設等を内容とした「教員養成の改善方策について」を建議
昭和49年5月 建議を受けて文部省内に設置された「新構想の教員養成大学等に関する調査会」が「教員のための新しい大学・大学院の構想について(報告)」を公表
報告の中に「この大学院には,将来は博士課程をも設置する方向で検討する。」を明記
昭和57年4月 兵庫教育大学博士課程調査委員会を設置し,兵庫教育大学における博士課程の在り方について検討を開始
昭和61年7月 3新教育大学(上越教育大学・兵庫教育大学・鳴門教育大学)共同による現職教員教育調査研究委員会が発足し,現職教員教育の体系化の中で博士課程を検討
平成元年8月 兵庫教育大学博士課程委員会を設置
平成3年2月 日本教育大学協会(博士課程)検討特別委員会が「教員養成系大学・学部に設置される大学院博士課程について」に関する報告を作成
平成3年7月 日本教育大学協会が博士課程問題研究会を設置
平成4年7月 日本教育大学協会から文部大臣に対し,「教育系大学・学部における大学院博士課程の設置に関する要望書」を提出
平成5年4月 文部省から大学院改革調査経費が措置され,3新教育大学の連合による博士課程設置の検討を開始
平成5年5月 兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科(仮称)設置準備委員会を設置
平成5年9月 日本教育大学協会博士課程問題研究会が「教員養成系大学・学部に設置される大学院博士課程の在り方について」の報告を作成
平成5年12月 兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科設置準備委員会に改称
3新教育大学の連合による設置構想案を作成
平成6年4月 岡山大学を加え4大学による連合研究科設置について検討を開始
文部省から大学院改革調査経費の措置
平成6年11月 4大学間で「兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科設置に関する構成大学間協定書」を締結
平成6年12月 4大学の連合による設置構想案を作成
平成7年5月 設置審大学設置分科会総会で「教員養成大学に設置される大学院に関する審査方針について」の一部を改正(「教員養成大学(学部)に置かれる大学院は,当分の間,修士課程のみとするのが適当である。」を削除)
平成7年7月 4大学連合による連合学校教育学研究科(博士課程)設置を概算要求
兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科設置計画書を文部省に提出
平成7年12月 連合学校教育学研究科の設置を含む政府予算案の閣議決定
兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科設立準備委員会を設置
平成8年4月 国立学校設置法施行令等関係法令の施行により,兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科設置(入学定員24人)
26日,連合学校教育学研究科第1回入学式を挙行
平成8年5月 平成8年度予算成立の関係から,5月11日付けで初代研究科長に濱名外喜男就任
平成10年4月 研究科長に濱名外喜男再任
平成11年3月 26日,連合学校教育学研究科第1回学位記授与式を挙行
平成12年4月 研究科長に中洌正堯就任
平成12年12月 研究科長に山下伸典就任
平成14年12月 研究科長に山下伸典再任
平成16年4月 国立大学法人化に伴い「兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科の設置及び運営に関する構成国立大学法人間協定書」を締結
研究科長に岩田一彦就任
連合学校教育学研究科大阪サテライト設置
平成18年4月 研究科長に岩田一彦再任
平成18年9月 連合大学院創立10周年記念式典挙行
平成19年9月 平成19年度「大学院教育改革支援プログラム」に採択
平成20年4月 研究科長に安部崇慶就任
平成21年4月 先端課題実践開発専攻を設置
平成22年4月 研究科長に原田智仁就任
平成24年4月 研究科長に原田智仁再任
平成26年4月 研究科長に松村京子就任
平成28年4月 研究科長に松村京子再任
入学定員を24人から32人に増員
平成28年9月 連合大学院創立20周年記念式典挙行
平成30年4月 研究科長に遊間義一就任
平成31年4月 岐阜大学,滋賀大学を加え,構成大学を6大学に拡充
令和2年4月 研究科長に松本剛就任
令和4年4月 研究科長に松本剛再任